今日で、阪神淡路大震災から26年経ちました。私はたまたま、神戸に滞在していてこの巨大地震を体感したのですが、今でもその時の大地から聞こえた地響きは忘れられません。恐らく生涯忘れることはないでしょう。たった数センチ、数メートルともいえる建造物の構造の差や活断層の場所によって生死が分かれ、多くの人が一瞬で亡くなりました。明け方、外を見回って高速道路がVの字型に落ちていてその下にあるトラックが飴のようにぐにゃりと曲がって平らになっていました。西宮から夙川の海岸から神戸の街を見ると、煙った感じで薄っすらと朝日が射していました。いつもと変わりのない日、静かな朝でしたが、目の前にある惨状は言葉に代え難いものがありました。映画やドラマではジャジャジャジャーンと効果音が流れるものですが、本当に悲惨な状況は遠くの潮騒が聴こえる位静かなものです。
記憶というものは印象深いものを無意識に選択して脚色して残っているので、年数が経って他に記録が無いと頭の中にあるものが真実になってしまいます。良い記憶で留められれば良いのですが、悪い記憶だとトラウマとなってしまうこともあります。精神的なことも肉体にかなりの影響を及ぼしますので本当に要注意です。今回の新型コロナウィルスの記憶も少なからず肉体に影響を及ぼしているのではないかと心配します。
しかし、良いニュースが入ってきました。全米ベストセラー「Life Span 老いなき世界」の著書であるハーバード大学医学大学院の教授デビット・シンクレア教授が、老化は病気であり、老化を遅らせること、はたまた老化に伴って失われた細胞を再活性する、あるいは置き換えることも可能かもしれないという説を唱えています。新型コロナで時間を失った人、精神的苦痛を受けた人、実際に新型コロナに感染してダメージを受けた方々、明日の自分を見つめて前進しましょう。政府がなんだかんだ言っても所詮各自で判断して身を守らなければなりません。国にとっては我々一人一人は大きなざるの中にいる小魚の1匹でしかないのです。それよりも細胞を活性化させて生き延びる、出来れば若返る、そうして今をそれなりに楽しむのでもいいですし平穏な時になるまで時間稼ぎをして時を待つのでも良いではないですか。生きていれば時間があります。もうすぐ、効果があるのか安全性は確かののかもまだ分からないワクチンの接種が始まります。いいか悪いかはさておいて、何も無いよりは兎に角可能性のあるものが次々に出てくるだけましです。
平安時代には京都から九州まで何日もかかりました。海外、まして月などはかぐや姫のおとぎの世界の話でしたが、いまや新幹線や飛行機で数時間で国内は行き来出来ます。月でさえも行ける時代になりました。これは目に見えない少しづつの進歩によって到達したものです。一気には無理でも進んでいるというということは、いつかは何とかなるという事です。へこたれず頑張りましょう。