年末年始は皆さまゆっくり過ごされましたでしょうか?私はただひたすらの寝正月で30時間位飲まず食わずでひどい目に遭ってしまいました。たまの休みなのですが、休みとなるとスイッチが変わって途端にインフルエンザになったりぎっくり腰のようなものになったりで病床に伏すので、今回は腎結石の再発でした。本当に痛い。お腹の中が出血だらけで突然死寸前ですよと言われるまで気づかない私が痛いと思うくらいですから相当だったと思います。老化ならば、ゆっくりと症状が出てきて覚悟や準備が出来るのですが、この石の症状は突然やってくるので思考回路が飛んでしまいます。兎に角身近にある痛み止めの薬をかき集めて対応しました。以前ブロブに書きましたが、救急車で病院に運ばれても痛み止めの注射はしてもらえずひたすら最終の性交渉の日をしつこく2人の男性医師に聞かれるという悲惨なものだったので、このコロナ禍では状況はさらに悪いでしょうから病院に行くのが憚られました。痛み止めである程度痛みは抑えられましたが、多少なりとも痛みが残っていて持続的にあると心に余裕がなくなって性格がすさむことが分かりました。周囲への関心が薄れ、頭はぼんやりとして、体の根本的な機能が徐々に失われていくのが良く分かりました。20代でなくても箸が転んでも笑える楽天家なのに、食べ物を見てもパブロフの犬のように反応しないのです。心が弱ると再び、栗きんとんを飼い忘れた以外で最後にやり忘れている事はないかと考えました。色々出てきました。
髪をインコのように七色に染めたい。
1か月に1日は休みをとりたい。
サントリーニ島の夕陽が見たい。
ダルメシアンを飼いたい。
健康食品のレストランを持ちたい。
欲望を出していると何故か元気が出てきました。
人間やはり欲望が無いと生きるという活力が沸いてきません。あれは駄目、これはこうだからしてはいけないと横並びの社会常識に常に押さえつけられては意欲がなくなってしまいます。新しい発想も文化も生まれません。
私自身の子供の頃は親から、「医者になるべし。」「休みなく勉強、仕事をするべし。」「人工着色料の含まれたお菓子は食べるべからず。」「テレビは百害あって一利なし。」「髪の毛は勉強の邪魔なのでショートカット。」「ジーンズは履くべからず。」と箸の上げ下ろしまで細かく躾されました。社会人になってからも実家に届いた気に入らない手紙は破棄するというのは変わらず、かなり厳しい親だと思います。その為、一時はうつ状態になってしまいました。
その点今の若い人の自由さは時に笑えることがあります。仕事中に受付で「ゆりこが…」と話しているので、彼女の友人のことかなと思っていたところ、なんと、東京都都知事小池百合子氏のことでした。私の世代ですと例え個人的に名前を出して話をするにしても政治家の方や目上の方は呼び捨てする感覚は無いです。斬新すぎて仰天しました。うちの親が聞いたら、“品が無い”と激怒するでしょう。しかしですよ、私はふと思いました。自分がこの年齢の頃、政治家を身近に感じてその動向を毎日チェックしていたかというと、お粗末ながら全くと言ってなかったです。政治家や政治は遠い世界のことでした。折角の投票権を持ちながら選挙に行かないこともあります。「ゆりこ」と呼び捨てしながらも、政治に関心があって意見を持っていることのほうが実質的ではあります。
まあ、昔は政治経済を大学で専門的に勉強した方々がなる職業でニュースキャスターやタレント、スポーツ選手などが金バッチを着けられるなんて想像だにしませんでした。まあ政治家も人気商売ですし、あのアメリカのトランプ大統領なんか熱狂的なファンがいますから、成り立つのでしょう。日本はまだまだ平和です。