6月27日選挙で前横倉会長に代わって、中川俊男氏が選出され日本医師会会長に就任されました。
「日本医師会を柔軟かつ強靭にし、そして国民の健康と命を守るためにどんな圧力にも決して負けない、堂々と物の言える新しい日本医師会に変えていこうと思っている」と決意を表明されました。
「全国の医療機関の経営が立ちいかなくなって倒産することが決してないように、あらゆる財源を使って、色々な手当をすることを政府に求めていく」ともお話になっていました。
この“どんな圧力にも負けない”というのが今回のポイントで、前任の横倉会長はどちらかというと政府の言いなりになっていたという印象を持たれていました。政治家や官僚等への対応が厳しいと指摘される中川会長は、「政府に対して、率直かつ勇敢にものを言う姿勢を評価する。」という声が非常に多いようです。医学会も新型コロナウィルスの問題を境にして新たな出発です。
さて、この“医師会”というのは一般では開業医の集まりと認識されていますが、1906年(明治39年)、国の医師法の制定に基づいて医師会規則が制定されたそうです。当時は都市区医師会と府県医師会に分かれていていました。地方での医師会の設立は任意とされていましたが、一旦設立されると、そこで活動を行う医師は加入を強制されていました。初期の医師会の活動は、薬価や診察料の議定に主眼が置かれていましたが、やがて自らの身分や権利を確立し守っていくだけではなく、医師の社会的役割や医療の在り方を追究することになっていきました。
このころ日露戦争の後経済が停滞していましたが、第一次世界大戦の開始と共に一転して戦争特需で好景気を迎えました。しかしその後1923年の関東大震災、世界恐慌と時代は動いていきました。病は繊維工場で働く女工やその農村で蔓延した結核や乳幼児の死亡率の高さが大きな問題となっていました。国民の体力の向上を目指して衛生国策の一環として1938年に厚生省が誕生しました。その後の第二次世界大戦中の野戦病院の設立から敗戦後の貧困による公衆衛生の悪化が1958年国民健康保険法が制定と1961年国民皆保険制度が設立につながりました。その間、医師会は国に対してあらゆる権利を主張して、例えば自由に開業する権利などを取得していき、国策に協力する機関として組み込まれるようにまでなりました。
今回は、以前購入していた「日本医療史」新村拓(編)から少し抜粋しました。この本は読んで名のごとし、日本の医療の歴史が綴ってあるのですが、新型コロナウィルスを経て読み返してみると、長い長い時間の中で常に病と闘い続けてきたのだなと改めて思いました。今回起きたことも歴史の一つでこれからもまだまだ様々な事が永遠に続いていくのです。終わりはなく、常に始まるのです。
私は数回日本医師会に用事で行ったことがあります。六義園に近いところに、お金がかかっているなと思わせる立派なビルです。都内の一等地に凄いなという印象がありました。でもその歴史を知ると、よくぞここまでご立派になられた、と感動するばかりです。