人種差別への抗議デモがますます拡大して一部暴徒化していますね。今に始まったことではありませんが、新型コロナウィルスでのストレスがこういう形で表れていると思います。
差別自体に異議を申し立てるのは良いと思いますが、それに乗じていき過ぎ感のある主張が含まれていて疑問に思うこともあります。有名なのは「ちびくろサンボ」。一時絵本は発売停止になっていました。カルピスのデザインも水玉に黒人の女性を思わせるとして、禁止になりましたし、漫画「お化けのQ太郎」もQ太郎の唇が差別を連想させるとしてテレビでの放映が禁止されたそうです。おそらく多くの方がそう感じるために対応したのでしょうが、正直言って私には理解できませんでした。むしろ行き過ぎではないかな?表現の自由が奪われているような気もしました。
そもそも、人種差別自体が誰の主導によって行われているのかを注意してみなければなりません。通常の差別は、白人が黒人(現在では不適切な表現化と思いますが、あえて分かりやすいようにこう記載しています)を下に見ているというものですが、逆にもし黒人が白人を「使い物にならない。最低だ。」として差別するようなことがあれば、ジョークになってしまいます。よく海外の映画やドラマではこの手のブラックユーモアが頻繁に表現でされています。結局、根の深い白人至上主義が招いている問題です。何故このような格差が出来てしまったのでしょうか。
医学的には、白人、黄色人種、黒人では「メラニン」と呼ぶ色素を産生する細胞であるメラノサイトの皮膚の単位面積当たりの数と分布には差がありません。人種間による皮膚の色の違いはメラノサイトで産生されるメラニンの量の違いです。このメラニンは黄赤色または黒褐色の色素です。ヒトには黒色のユーメラニンと黄色のフェオメラニンの2種類があり、皮膚や髪などに存在する比率によって色に違いが出ます。メラニンの主な役割は紫外線防御で、メラニンが多いほど皮膚がんのリスクは低くなります。したがって黒人の方が皮膚癌になりにくいようです。
他に人種間では体格の差がありますが、例えば同じ身長では日本人よりも黒人の方が脚が長く見えることが多いです。しかし骨が何センチも長いわけではなく筋肉の付き方が影響しています。筋肉の量やパワーは言わずもがな黒人が圧倒的に優位ですね。
こうしてみると、生物的な優位は黒人の方のような気もします。
他に解剖学的に顔は僅か数ミリの差で、目が大きいとか鼻が高いとか唇が厚いとかの差が生まれます。勿論体質の差もありますが、個体的には人種間は大して変わらないのです。それが何故か繰り返し大きな問題として取り上げられているのです。とても不思議ですね。
私は幼い頃、アメリカで育ち日本に帰っても家庭教師は外国人で、父親の研究室には世界各国から留学生が来ていましたので、様々な方を見慣れているのもあるのでしょうが、何で人種差別が延々と存在するのかがとても不思議です。政治的な背景があるのは分かるのですが、いつも白人優位で話がすすんでいますので、そろそろ変わってもいいのではとうんざりしています。
極論を言えば、人体を工業原料にしたら数十円にしかならないのです。これは押しつぶして原料にした時の話ですが、白人も黒人も差はありません。
今回の新型コロナウィルスでの感染に関しても、アメリカでは黒人やヒスパニック系の割合が非常に多いとされています。死亡数も高く、原因としては貧困で健康保険に入っていないということもあり診療はもとより薬さえ買えない状況が招いていると考えられます。新型コロナウィルスは平等に感染するのですから、やはり命も平等でないといけないと思います。
日本でも部落問題などが根強く残っていますが、差別される側は総じて経済力が低く、それによる不利益で生活に問題を抱えていることが多いです。仕事もリスクが大きいものに就いていて、保証がなく、今回のように命まで奪われてしまうという事が起きてしまいます。全てが平等という訳にはいかないでしょうが、新型コロナウィルスで世界は急速に変わりつつあります。良い方向に進むためにも“人種差別”は真剣に考えるべきだと思います。
1963年8月28日での大集会、キング牧師がリンカーン記念堂の前で有名な“I have a dream.”を含む人種差別の撤廃と各人種の協和という理想を演説で行いました。
この数年後、1968年4月4日白人男性に撃たれました。これに対する抗議の暴動が起きている最中、当時私は知らずにワンブロック隣の通りを歩いていました。やはり歴史を体感したものが率先して訴えていかなければいけないと最近はとみに思います。