本日(5月29日)知人から航空自衛隊の曲芸飛行隊「ブルーインパルス」が新型コロナウィルスの感染者の治療などに当たる医療従事者らに感謝と敬意を表すため、入間基地を離陸した6機が12時40分から13時都心の上空1千メートルを、池袋からスカイツリー→銀座→鎌田→渋谷→新宿で華麗な飛行を披露しました。東京駅などの都心ど真ん中を飛んだのは初めてだそうです。同じ経路を2周したのですが、1週目は〈デルタ〉2周目は〈フェニックス〉という隊形でこの〈フェニックス〉(※)と呼ばれる隊形は元々東日本大震災の後、復興のシンボルとして造られたものです。コロナウィルスはまだ完全に終息したわけではありませんが、復興に向けての思いを空に描いたのだと感じました。なんだか目頭が熱くなってきました。「ブルーインパルス」のパイロット並びに航空自衛隊の方々、ありがとうございました。
さて、「ブルーインパルス」の名前の由来ですが、1960年公募して浜松基地の近くの天竜川にちなんで「天竜」という愛称が採用されることに一旦なったようですが、アメリカ軍にとって発音が難しく古臭いという意見で、今迄の「インパルス・ブルー」を逆にして「ブルーインパルス」に変更したそうです。
1964年10月10日の東京オリンピックの開会式当日、「ブルーインパルス」がカラースモークで五輪を東京の空に描きました。
実はその前日東京は土砂ぶりの雨で、ブルーインパルスのパイロットらは「これは明日は無い」と早合点して深夜まで深酒をして新橋で酔いつぶれてしまったのですが、翌朝空は快晴で二日酔いのまま入間基地に駆けつけて本番に臨むことになったということです。しかしそこはプロ、練習でも経験したことのない会心の出来栄えで、展示飛行を終えてから銀座、上野、池袋、新宿、渋谷、品川の上空をスモークを引きながら凱旋飛行し入間基地に帰投したそうです。まさに本日の飛行経路と類似していますよね。おそらくですが、今年予定だったオリンピックに向けて準備されていたのでしょう。来年も見られるとよいですね。
今回はスモークが一色でしたが、1961年10月22日の展示飛行で初めて特別塗装機とカラースモークが披露されました。1999年からはカラースモークは直前の準備が必要なうえ除去作業も大変で手間がかかりコストが高く、地上の車や洗濯物などへの影響も考えなければならないので使用が中止されました。けれども再び2019年8月29日には、使用を禁止していたカラースモークの実機試験を2020年の東京五輪関連行事での展示飛行に向けて実施しました。来年は5色で飛行でしょうか。
※フェニックス;1番機が頭、4番機が尾、残る4機で大きく広がる翼を表す隊形。
余談ですが、マニアには人気がない隊形だそうです。なんで?