今日は“マイクロバイオーム”について話をしようと思っていましたが、まだ自身の中でまとまっていないので次回にすることにしました。頭の中で考えていることをこうして文章にすると物事がはっきりしてきて、どこの詰めが甘いかが分かります。このブログではなるべく訳の分からない専門用語は使用しないように努めています。一般的な噛み砕いた言葉で書くようにしているのですが、自分できちんと理解していないと上手く言葉の転換が出来ないのです。時間があるときは1か月に100冊位の本を読むのですが、最近はほとんどネットのニュースと論文ばかりで、流行りの言葉がどうなっているのかがさっぱりわかりません。毎日、数字がどうなったこうなったという事ばかりで、この数字も本当に信じてよいものかと思いつつ、自分で常識と思われる数字を計算してはじき出してみたりと地味な事をしております。
脱線しますが、よく女医は高層マンションからワインを片手に夜景を見下ろしているイメージがあると言われますが、確かに少数はそうかもしれませんが、ほとんどの場合は日夜医学書を見ながら勉強しております。何故かって?おそらくそうするのが好きだからです。今回のコロナについても多くの人があらゆる知識を出し合って知恵を絞って治療を進めています。その膨大なデータが次々に出てきます。1時間に61枚のレポートを診察をしながら読み解いていくこともあります。数字の一つ一つが命の重みを持っています。その貴重な数字の動きや流れで今後どうすればよいのかを推測して未来に繋げていくのがおそらく自分の仕事なのだと思います。
救急の現場で患者を治療する医療スタッフ、検査や薬の開発をする人達、データを集計する人、その集計で今後の社会をどうするか話し合う政治家、その情報をまとめて世に送る報道者、情報を受け取って右往左往する国民、ぐるりと繋がって社会が出来ているのだと改めて考えさせられました。昨日28歳の力士が亡くなりましたが、受け入れ先がなくて時間がかかったようでした。糖尿病という持病もあったようですが20代のアスリートがこうも簡単に病に侵されて逝ってしまうとは。社会が回らないと助かるかもしれないものも助からないのだと、今迄うやむやになっていたことが今回のコロナで露呈しました。これを機にもう一度、自分のするべきことは?誰が何をするべきなのか?を改めてはっきりするべきだと思います。
少し前までは終身雇用制が当たり前でしたし職人肌というのが尊敬されていましたが、派遣(が悪いとは言いませんが)やパートなどが多くなってきた今、その時間内で仕事をしたらはい終わり!という人が多くなってきました。引継ぎもなく、置いてあるマニュアルを見てその場限りのルーチンをこなすだけという悪くはないですが味気なく、責任の所在が曖昧です。何故なら、もし仕事が上手く運ばなければ置いてあったマニュアルが悪かったのか派遣会社が悪いのか派遣されていた人間がミスったのか分からないからです。
それでも人数合わせが何とかなっていて、法的までの問題が起きなければ滞りないとして進んでいくのです。もうこんなことはやめましょう。もっと本質を大切にした世の中を再構築していくべきだと思います。
何故こんなことを言うのか?それは今回たった1種類の見えないマクロサイズのウィルスによってあえなく世界が引っ掻き回されたからです。高度な文明があり、情報は至る所に発信され、あらゆるものが揃い、あらゆる科学技術、人工知能というAIまでがあるといわれていたにもかかわらず世界が止まったのです。我々は仕事やパソコンやスマホに使われているのではないです。生きるために仕事をして、便利なのでパソコンやスマホを手にしているのです。こうして生きて、新型コロナウィルスが拡散していても生き延びてきたのは科学の力ではありません。様々なヒトの知恵や努力のおかげなのです。そうしてそれぞれの一人一人の力なのです。究極はヒトの免疫・生命力とでも言いますでしょうか。個を大切にしたいものです。頭の数合わせや体面を繕うのはもういりません。
現場で24時間医療従事者が何とかすると丸投げするのは止めましょう。
一部で統計を取るために検査数を制限するのはうんざりです。
データを出している人を信頼してデータも信じるべきでしょうか。
限られた時間と予算の中でインパクトを出すための演出やめましょう。
明らかに変だと分かるものに反応しないようにしましょう。
受け取る側にも責任があります。
そうすればきっと良い世の中になります。