今回のこの新型コロナウイルスウィルスとの闘いを第三次世界大戦に例える人がいますが
まさしく私もそう思えます。
しかし、今迄の戦争と違うのは、
数年前の東北の震災や私自身が遭った阪神淡路大震災は(人によっては不愉快に思えるかもしれないですが)起きた場所から避難すれば普通の生活に戻れましたが、今回はその逃げ場がないのです。
更に敵は見えなくヒトの細胞に侵入して病気を起こすだけでなく、街の機能を麻痺させて人の精神状態も追い詰めているのが非常に厄介です。
御年輩の患者さんから、
「戦争みたいに食べ物がないとか、焼夷弾が上から降ってくるわけでもないからまだいいわよ。」
と言われ、なるほどとも思いましたが見えないだけに対策を講じることが難しく、
例え何らかの防御策を敷いても効果がいまいち分からないことも人々を混迷させている原因だと思います。
この先どうすればよいのか、何を改善すればよいのかが非常に不透明です。
ただはっきりと言えることは、マスコミの恐怖の煽り方は本当に不愉快です。これはやめて欲しいです。私もテレビやラジオに出演させていただいてお世話にはなっていますが、不必要な扇動には腹が立つこともあります。彼らも視聴率を取るために仕事を頑張っているのではありますが、世間が恐怖に駆られていく状況に追い込んでいるとしか思えないセンセーショナルな話題の創り方は既に終わっているとしか思えません。ある程度までは、外出のリスクを訴えるために大げさに言っても構わないとは思いますが、恐怖ニュースの繰り返しで気分が悪くなります。おそらく見ている人もそろそろ飽きているのではと思います。
どの局も似たり依ったりで他局と一線を画す内容を報道して欲しいと思ってしまいます。
コロナの情報が限られていて同じような内容しか報道出来ないというのであればせめて感染者や死亡数を見せるだけでなく、予防方法や生活での工夫や改善をもっと報道して未来に向ける内容が欲しいと思います。
新型コロナウイルスに対してのワクチンや治療薬が無いからパニックになっているのは分かりますが、通常のインフルエンザや死亡原因の三大疾病でもっと多くの方が亡くなっています。それを毎日“県毎に本日は何人“と報道していましたでしょうか?
一種のショーのようになってしまい、この大掛かりな報道はヒトがどう反応するかという何かの実験?とも思ってしまいます。
最近マラソン大会が翌開催されていますが、単にマラソンが人気なだけでなく、有事が起きた時にどの道を封鎖して人をどう動かせば良いかのシュミレーションとしてやっていると聞いて成程と思いました。願わくは今回の事もそんなデータを採るために利用されていないようにと思います。
我々市民は今回のようなことが起こればただ命を守ろうと、慌てて情報とものをかき集めて右往左往するだけなのですから。
悲しいかな御多分に漏れず、武漢での新型コロナウイルス感染症の流行を耳にして中国製品が来なくなると、私も年末からトイレットペーパーやティッシュペーパーをまとめ買いしました。アメリカでは銃が飛ぶように売れているらしいです。日本人はやばいと感じると何故か紙を買いに走り回り、海の向こうの国は銃なんです。やはり遺伝子に組み込まれているものが根本的に違うのでしょう。豊臣秀吉が刀狩りをしていなかったら刀を買いに走ったでしょうか?今であれば包丁が買えますが、他人を威嚇する武器を持っておかなければという発想はあまりないですね。こういう発想の違いについても注意しなければならないと思います。
現在日本に何人の外国人が滞在したり居住しているでしょうか。平和な時は仲良く理解しあおうと努めて暮らしていますが、今の悪化している状況は文化や考え方が違う人々の間でトラブルが頻発する可能性を秘めています。互いに誤解が生じるのは悲劇ですから今からお互いをリスペクトして問題が起きないよう備えるべきだと思います。ウィルスは自身が生き延びようとヒトに寄生して渡り歩いているので言い方は悪いですが単純です。しかしもっと怖いのはヒトだと思います。新型コロナウイルス感染症に対する恐怖で煽られた集団心理が大きな問題を引き起こさないように願うばかりです。
現在の状況だけでなく次に何が起こるかと考えながら過ごすことが大切です。生きるということは自分の考えで進むことなのです。他人が創った幻に翻弄されるのは本当に馬鹿馬鹿しいと思います。本当の人生をまっとうしましょう。