「美夏は都会の大学を受けるんか。それじゃあ、こういうふうにゆっくり話せるのもあまり無いかもしれんのう。」
と祖父が口をひらいた。
美夏にとって高校最後の夏だった。
机の上にあった万華鏡がコロコロっと二回転半してから止まった。
「初めは満州に送られてなぁ、それはええ所じゃった。」
懐かしそうに記憶をたどる祖父の瞳には、あらゆる光が反射していた。
「皆親切でようしてくれてなぁ。殿様並の生活じゃった。」
いっそ家族も呼び寄せて、一家で移住しようかとまで考えたこともあったが、そのうちに戦況が変わりあちらこちらに振り分けられて、現地で仲良くなった人ともいつの間にかバラバラになってしまった・・・
明日がどうなるか分からない日々、仲間内では怪しげな薬を手に入れて常用するものもいた。効果が切れるとどっと疲れが襲い、気分が反対に落ち込むと聞いていたので、おおかた何であるのか気づいていたためそれには手をださなかった。
物資がどんどん不足していく中でも、優先的に支給がなされる立場にいた祖父は、たまに嗜好品をたしなんだ。
新たな友人もでき、しばしのやすらぎを感じることが出来た。
現地の小学校を借りた、簡易診療所でのある日の会話だった。
「大田くん、この戦争は負ける。」
「負ける?」
「ああ、そうだ。」
彼は大きく頷いた。
皆がなんとなく感じてはいても、口には出せなかった言葉を同僚がはっきりと言いきって祖父は動揺した。
「日本が負ける?」
「そうや。間違いなくもうすぐ戦争は終わる。」
そうして数日後
『大田大尉殿』と軍より指令が届いた。初めて聞く南方の島の名前だった。
夕飯時、敗戦を口にした例の同僚が祖父のもとへ再びやって来て、
「大田くん、行っちゃあ、あかん。そこはかなり激しいと聞いておる。」
「・・・・・・」
「仮病を使ってでも行くのを止めたほうがええ。」
「そんな卑怯なことは・・できん。」
「今度のところは、行ったらもう戻ってはこられん・・・たぶんな・・・」
「しかし、僕が行かんかったら、誰かが行くことになる。」
「俺が行く。君には、かえったら食わせにゃならん家族がおる。」
彼は少し声の調子を下げて、祖父に近づいて耳打ちした。
「実はわしは、てて無し子でな。お袋も労咳で、かなり前に逝ってしもうた天涯孤独の身や。それにほんまの医者やあらへん。」
奉公先で漢方や鍼を手伝い、見様見真似でやっているところをたまたま軍の人間に連れてこられたのだ、と言う。
彼が何故付き合いの短い祖父にそんな打ち明け話をしたのか、それがどこまで本当なのかは今でも永遠の謎だった。さらに彼という存在がいたのかどうも、戦争での死への恐怖が見せた夢なのか、今となっては確かめようもなかった。
ただはっきりとした事実は、祖父は寸でのところで生き延びて帰ってきたということだ。でなければ、美夏自身も今ここには存在しなかったかもしれないのだ。