7月24日は「スポーツの日」です。昨年までは「体育の日」でしたが衣替えになったそうです。10月の第2月曜日と通常はなっていますが、今年に限り東京五輪の開会式に合わせて7月24日に変更されました。あまり意味がなかったようですね。それに体育がスポーツに変わってなんになるのでしょうか?体育の意味するところが狭く、スポーツが様々なものを含み世界的に認識され易いからという理由のようですが……日本の国なので体育で良いのではないでしょうか。そこまで英語にしたいのならば、「スポーツデイ」じゃないでしょうか。
話は飛びますが、先日新しくできたJRの山手線で品川駅と田町駅の間の「高輪ゲートウェイ駅」、他はカタカナの文字が使われていないのに何故に“ゲートウェイ”がつけられたのか謎です。実は先日まで私は高輪に住所があったので地元で唸っていました。カタカナも立派な日本語ではあるわけですが、どうも他とのバランスからして馴染まない気がします。
はっきりとした理由があれば成程と思うのですが、最近の政府は新型コロナウィルスの問題に関しての対応も含めて、納得できる説明がないまま全てを進めているような気がします。これってほんの小さなことですが、家庭内と同じ事で、その小さな事が積み重なると信頼という繋がりが失われてくるのではないでしょうか。そうなると家庭であれば“離婚”なんて言葉がちらつきますよね。我慢の限界というものがありますから。まあ新しいものを取り入れていこうとする試みは良いことかもしれませんが、名付けはもっとセンスの良いものにして欲しいなと贅沢を言ってみました。今でも「高輪」で良かったのではと思っています。
23日、国立競技場で開かれた東京五輪開幕1年前イベントで競泳女子・池江選手が朗読されたメッセージは心を打つものがありました。彼女が白い服でオリンピックの聖火を携えている姿は大変美しく映りました。白血病の急な宣告で絶望の淵に立たされた彼女が
「思っていた未来が、一夜にして別世界のように変わる。」
「希望が遠くに輝いているからこそ、どんなにつらくても前を向いて頑張れる。」
と語っていた言葉一つ一つが、聞いている人の心に染み渡ったのではないでしょうか。経済効果を狙ってお金をかけた派手なパフォーマンスよりも、広い国立競技場にポツンと佇んで述べた彼女の言葉の方がオリンピックの意義を改めて強く伝えたのではないでしょうか。
いま世界は見えない恐怖に脅かされて、未来を暗澹たるものと考えていますが、彼女のように復活するものもあるのです。まだ以前のような力には及ばないかもしれませんが、少しずつ進めばよいのです。池江選手の一番最後の言葉、
「TOKYO2020 +1」
この言葉は、“東京オリンピックは延期になったのではありません。また一つプラスが増えたのです”と言いたげな感じがします。時間が無駄になったのではないです。また一つ次のステップに上がったと考えましょう。
さて、おさらいです。カタカナの言葉はいくつあったでしょう。
スポーツデイ、ゲートウェイ、バランス、コロナウィルス、センス、メッセージ、オリンピック、イベント、パフォーマンス、ポツン、プラス、ステップ
12個。カタカナの言葉を使わないように少し注意してみたのですが、他に上手く当てはまる言葉が見つからなくてこうなってしまいました。他人の事は非難出来ないですね。